2021年03月20日 畠中の日記 一覧に戻る
なぜプログラミングなのか?

自分で考える力を育てるには、先生不要である

プログラミングってよく聞きますけど、まだ学校では本格的に何かが始まっているわけじゃない。学校の先生に尋ねても、まだ説明が上手にできる人ばかりじゃない。

でもどうしてこんなに、学習塾でプログラミングが始まっていたり、それ専門の教室までできてしまったのでしょうか。それは、私にもよくわかりません。笑)私自身、必要なとさえ思うときがあります。

なぜなら、プログラミングにのめり込むとき、先生は必要ないからです。つまり、素敵なアプリができたら、それでできるようになるし、ニンテンドーSwitchでもできるようになるかもしれない。

これまでの学校教育では、わからないところがあると「先生!」って手を挙げて、理屈を尋ねたり、解法を尋ねたりしていました。そして先生に質問できない人が遅れていったりして…個別指導が主流となった。

つまり、教えてくれる人ありきなんです。

もちろん相手は子どもですから、自分でなんでも考えて、その場にあった選択ができるわけじゃありませんから、導く存在は必要です。ただ、このプログラミングは、自分で作ったプログラムの経緯が目の前に載っているんです。だからこそ、自分で作ったプログラムのどこを修正したら、システムが、ロボットが動きを変化させるか、やってみて、実際に目でみて確認することができます。

その過程を通して、自分で試行錯誤する力というものが備わってきます。そのベースをもとに、自分で考えてみよう、工夫してみようという気持ちが芽生えることになり、自主自発的な行動がうまれ、それがのめり込んでいくと、その結果、探究心へと進化していきます。

いずれ、人の手が必要なくなるかもしれないプログラミングに、なぜ参入するか?

今はまだ人の手を活用して、人の手が必要なくなる世界へと導く必要があるからです。プログラミングそのものに意味はありません。連立方程式そのものに意味がないことと同じ。だけど、これを学ぶ過程そのものに、人の進化に必要なタネが隠されているのです。

やらねばなりません!