2020年03月08日 畠中の日記 一覧に戻る
幼児教育は、教育の原点にもなる

幼児は、分別がつきません。心の思うままに行動しますし、発言もします。このおともだちは好きとか、あのおともだちは嫌いとかも口にしますから、時に残酷なものです。多少の我慢はしますが、その我慢も体力がなければ保ちません。大人でも同じですよね。疲労がピークにもなれば、少しのことでもイライラしてしまいます。幼児は、その沸点が低い。それは当然と言えます。

だからこそ幼児教育は、指導者の腕がモロに試される部分があります。教材に飽きてしまったときや、その日、不機嫌だったとき、子どもは大人の計画通りに進ませてくれません。無理矢理に、こっちだよ!って引っ張っても、小学生なら言うことを聞いても、幼児は聞けません。なぜそれをしなければならないのかを知らないからです。

チャイルドアイズの指導者は、絶賛、練習中です。子どもたちの顔は、態度は、その日のレッスンが充実したものだったのかどうかを表しています。それをみて、指導者は反省したり、よかったと胸を撫で下ろしたり。

やりなさい!が通用しない幼児において、幼児が心から興味を惹く見せ方をしなければ、興味を惹くものを用意しなければ、幼児はその先に進んでくれません。そういう意味において、幼児に対するレッスンがうまくいくならば、その指導者の教え方、指導の仕方は、小学生でも中学生でも、高校生でも適用すると言えます。内容が、パズルか微分積分かということだけです。

まさに教育の原点です。修和塾は、これを突き詰めています。指導のあり方、指導者としてのスタンスが最も大事。それは「どのようになってもいいよ」「あなたのやりたいようにやってみよう」というメッセージを伝えながら、子どもたちには決して分からないように、未来に役立つ力を培うことなのです。